文系大学生ニコのブログ

台湾へ留学を控えた文系大学生です。日々感じたことや学んだこと、中国語学習を中心につづっています。

[対人恐怖]克服の先に見えるもの

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私は対人恐怖に悩んできました。はっきりと自覚したのが高校3年の時、コミュニティになんとなくなじめない違和感を感じ始めたのが保育園時代なので、本当に長いこと付き合ってきた気がします。まだ、ふと頭にその言葉がよぎることもあるのですが、最近その心の疼きみたいなものを感じなくなっていると気づいたので、どなたか悩んでいる方の励みになればと思い、対人恐怖を体験して思ったこと、克服の先にあるものについて書きたいと思います。

 

 

 

[目次]

  1. 今の自分
  2. 対人恐怖に苦しんでいる方に伝えたい事

 

 

 

1.今の自分

  • 人に会うのが楽しい

 対人恐怖の兆候が薄れ始めたのは、いろんな人との出会いがきっかけでした。今まで内へ内へと渦巻いていたエネルギーが、人ともっとかかわりたいという方面に向いてくるようになりました。外へ出てもっと物事を自分の目で確かめたいという前向きな気持ちがわいてきます。

 

  • 当たり前の日常がとても幸せに感じる

 悩んでいた時は苦しいことが当たり前で、息苦しさの中でみんなに紛れて耐え忍ぶような姿勢で生きていました。対人恐怖という、私の中でのある種の呪縛を克服できた解放感が嬉しいです。友達と家族と一緒にご飯を食べること、休日に旅行の計画や女子会の話をすることetc...大学生なら誰でもやっている様な事、でも悩んで抜け出せなかった頃の自分にとって一番うらやましかった普通の日常をとても幸せに感じます。

 

  • 新しいことにチャレンジする活力がわいてくる

 今まで対人恐怖を理由にして、逃げていたり踏み込めなかったことにチャレンジしたいと思うようになりました。他の人より人間関係のスキルが足りないという風に引け目に感じていた時期もあったのですが、むしろ子供みたいな感覚でやり残したことを見つけてはワクワクする感覚があります。

 

2.対人恐怖に苦しんでいる方に伝えたい事

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 私は最近、自分が思い悩みまくって死にたいとまで思い続けた日々のことを忘れつつあると気づき、筆を執りました。まだ視線恐怖とは付き合っていますが、前のような酸欠の金魚ではありません。息苦しさに耐えられなかった頃は、本当にそのことばかり考えていました。正直このままでも別にいいかな、くらいのゆるいスタンスで構えていると、この恐怖観念も和らぐ気がします。

 真っ先に伝えたい事は、「’’自分は対人恐怖症で周りの人はそうでない人たち’’という風に差別化するのをやめてください」ということ。自分を社会的コミュニティーから疎外されたものだと思ってはいませんか?私はそうでした。自分は異常だ、受け入れられない存在だ、と決めつけていました。この差別化で、人を’’対人恐怖’’の有無や’’世間的な地位’’、’’世渡り能力’’といった、本当に限られた部分のみで査定するような癖がついてしまいます。対人関係の能力というフィルター越しでは、人物の奥底に光る人間性が見えてきません。自分とは違う人と頭から決めてしまって、知らないことを知るきっかけを潰し、もっと言えば、対人恐怖から自由になるチャンスを逃すことになるのです。また、自分が対人恐怖症だという負のイメージをより一層強めたり、自分まで評価の物差しの上で測り続けることになります。

 対人恐怖は自分と社会のつなぎ目を真剣に見つめている証拠です。人間の一番おいしいところを味わっているということでもあります。

 今の苦しみは、この克服の先の毎日の幸せを何倍にも増幅させてくれるスパイスです。対人恐怖を克服できないでいる今も、あなたはあなたという完全な存在です。欠けているものなど一つもない。もっと図々しく生きて大丈夫です。